速報! 韓国大統領、パク・クネは実は賎民の生まれだった?! 朝鮮人奴隷を解放したのは誰? 

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韓国大統領、パク・クネは実は賎民の生まれだった?! 朝鮮人奴隷を解放したのは誰?

現在、韓国に身分差別がないのは誰のお陰だと思いますか?
 伊藤博文公こそが「朝鮮奴隷解放の父」と呼ばれるべき人だった!

 なでしこりんです。季節の過ぎ行くのは早いもので来週はもう11月。そういえば朝夕はめっきり寒くなりましたね。どうかくれぐれもご自愛くださいね。 さて、11月1日、2日と安倍総理は韓国に行かれ、日中、日韓による首脳会談に臨まれますが、韓国では「出でよ第二の安重根」というテロリスト募集をしているんだと。すでにご紹介しましたように、過去、韓国朝鮮人によるテロ行為が実際に行われていますので、関係各署は決して油断なさらないようにお願いいたします。安倍総理は「日本の宝」ですからね。
     
       

 今日は 韓国の大統領、パク・クネのルーツのお話。パク・クネは韓国の元大統領であるパク・チョンヒ(朴正煕)の長女と言われていますが、実はこれは間違い。パク・チョンヒはパク・クネの母親であるユク・ヨンス(陸 英修)と結婚する前に一度結婚しており、パク・チェオク(朴在玉)という娘がいます。ですからパク・クネは次女ですね。

       

 では、パク・クネの祖父や祖母は何者か? 見栄っ張りな韓国人ですから、多くの韓国人は「家系図」を捏造し、「自分たちは名家の末裔」というウリナラファンジーの世界にうっとりしているのですが・・・。 パクさんちは、父方の祖父母ははっきりしています。          

 パク・チョンヒ(朴正煕)は、1917年11月14日 の「墓守をしていた朴成彬と白南義」の家に生まれます。5男2女の末子と言いますから、「貧乏子沢山の家庭」が容易に想像できます。中には「父親は科挙に合格したが、日本のせいで没落した」みたいなことを書いている資料もありますが、国家試験である科挙を受けられるのは「両班」の出身者。 ですから、これは後から付け加えた「うその経歴」でしかないことは明白です。なによりもパク・クネの祖父は「墓守」であったことに、その一族の出自がはっきり出ていますよね。そう、パク氏の一族は「最下層の賤民(せんみん)」の出身だったんです。
 
 5男2女 という絵に描いたような貧しい家庭。しかも、一族は賤民。おまけにその7番目の末っ子に明るい未来などあるはずもなく・・・しかし、パク・チョンヒ(朴正煕)の生まれ年をもう一度確認してみてください。「1917年」。 日本が朝鮮半島を併合したのが「1910年」。実はその前年の1909年から、「朝鮮総督府」の前身である「統監府」が朝鮮半島の住民に対して大きな「改革令」を発布します。

 統監府は 1909年に戸籍制度を朝鮮に導入し、李氏朝鮮時代を通じて人間とは見なされず、姓を持つことを許されていなかった白丁などの賤民にも姓を名乗らせて戸籍には身分を記載することなく登録させた。これにより、身分開放された白丁の子弟も学校に通えるようになった。身分解放に反発する両班は激しい抗議デモを繰り広げたが、身分にかかわらず教育機会を与えるべきと考える日本政府によって即座に鎮圧された。(ウィキペディア)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE

 ここ大事! しっかり見てくださいね。 「李氏朝鮮時代を通じて人間とは見なされず、姓を持つことを許されていなかった白丁などの賤民にも姓を名乗らせて戸籍には身分を記載することなく登録させた。これにより、身分開放された白丁の子弟も学校に通えるようになった」

 これが 「1909年」のことです。パク・チョンヒが生まれる8年前に「日本人によって善意の種」がまかれていたんです。

       
      実はこれはパク・チョンヒ(朴正煕)!

 「俺は 本当の貧しさを知っている」。 これは、小学生の頃、学校に弁当を持って行けないほど生活が苦しかったパク・チョンヒ(朴正煕)が、大統領になった以後、酒に酔うたびに友人や側近に語っていたという言葉です。本来ならチョンヒ少年の学歴はよくて小学校まで。卒業できても、貧しい農家では肉体労働に従事せざるをえなかったでしょう。当時の貧しい家庭の子にはそんなに多くの選択肢はなかったと思われます。以下、パク・チョンヒ(朴正煕)の証言。

        
       満州軍第8師団参謀(中尉)

 「日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育はわりと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している」 パク・チョンヒ(朴正煕)  日韓「禁断の歴史」p.212 小学館 2003年10月 ISBN 4093896518

  私は 「パク・クネは墓守(賤民)の末裔」などと侮辱するつもりはありません。実は、李氏朝鮮の時代に朝鮮半島を支配していたのはごくわずかの王族と両班(貴族)で、他の庶民の多くは「被支配階級」であり、その最下層にいたのが「白丁」であったんですね。もし、その制度が維持されていたらパク・チョンヒ(朴正煕)の人生、パク・クネの人生は変わっていたでしょう。

 「だから 韓国人は日本人に感謝しろ」と言うつもりもありません。ただ一つ言いたいのは「歴史を直視しなさい」。韓国では「日本は朝鮮半島を植民地にし、朝鮮人を虐待し、朝鮮の資産を奪った」と学校教育で教えていますが、李氏朝鮮の時代はひどい差別社会で、1300万人いた人間の半数は戸籍のない賎民でしかなかったわけです。その証拠に韓国人の中でも李氏朝鮮時代を評価する声はありません。

        

 李氏朝鮮時代 の奴隷制度を解体し、劣悪な差別社会から、数多くの「朝鮮人奴隷を解放」したのが「1909年の戸籍制度の導入」だったんです。本来ならば、「朝鮮の奴隷制度解放の父」と感謝され、あがめられるべきは「伊藤博文」公じゃないのかな。しかしながら、多くの朝鮮人のために尽くした伊藤公を暗殺した人物をあがめているのが現在の韓国人なんですね。韓国人にはこの言葉を贈るしかありません。「歴史を直視しなさい」と。 By なでしこりん

  • 2015 11.04
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