速報! 日本共産党の志位和夫のおじはソ連のスパイ! だから志位は委員長になれたの? 

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日本共産党の志位和夫のおじはソ連のスパイ! だから志位は委員長になれたの?

「おじがソ連共産党のスパイ!」 志位和夫はこれで出世しました!
  スターリンが命じたシベリア抑留で日本人
34万人が殺されました!

 なでしこりんです。町内を歩いていますと、「共産党のポスター」を貼っている家が何軒か見受けられます。あれっていいですね! あれは「ここに売国奴が住んでいますよ」という看板のようなものですからね。日本共産党による売国行為が日本国民に拡散されるにつれて、いつかはそういう場所は「憎悪の対象」にならざるをえません。日本共産党の党員や支持者は、自分の愚かさを早く悟り、全うな人間になってほしいです。

        
     共産党にポスターを貼らさせてはダメ!

 共産党の山下芳生書記局長は13日の記者会見で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が、中国により登録申請されていた「南京大虐殺文書」を記憶遺産に登録した件に関し、政府・自民党からユネスコへの分担金拠出の削減を検討する意見が出ていることについて、「日本政府の主張が認められなかったからといって、拠出金削減を検討するなどという対応は国際社会の理解を得られないだろう」と述べた。

 山下氏は「南京事件については、どの程度の規模だったかについては議論があるとはいえ、大虐殺が行われたことは動かしがたい歴史的事実だ」と強調した。(産経新聞)http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1444720006/

 共産党 の山下芳生の名前がソ連共産党の「ヨシフ・スターリン」にあやかった名前であることは明白ですね。本人は「よしき」と名乗っていますが、「有田芳生(よしふ)」と同じ、「ソ連共産党の英雄」に少しでもあやかりたかったのでしょう。でも、ヨシフ・スターリンは6000万人もの人々を死に追いやった虐殺者。 日本人も数多く殺されています。「虐殺者にあやかる」というのは一般人には理解できませんね。

 日本共産党 と民青は「かなしい組織」で、上級機関による声明を下級機関は批判も否定もできません。山下芳生が「大虐殺が行われたことは動かしがたい歴史的事実だ」と言ったら、下級機関の党員は「大虐殺が行われたことは動かしがたい歴史的事実だ」以外の見解は表明すらできません。

 たとえ、南京にあった「南京安全区国際委員会 」が公式に「日本軍入城前の南京市の人口は20万人。日本軍入城後の南京市は25万人」と報告していても、下級の共産党員は「大虐殺が行われたことは動かしがたい歴史的事実だ」以外の見解は表明できない仕組みになっています。「どうやら虐殺はなかったようだ」と共産党員や民青がつぶやけば査問され、意見を改めなければ「除籍」されます。日本共産党と民青はそういう組織なんです。

 じゃ、山下芳生の上級機関はと言うと、これは志位和夫しかいません。結局、志位和夫は「中国がそう言っているんだからそうなんだろう」ということなんです。日本共産党は「自主独立の党」というと、実態は「中国共産党日本支部」でしかありません。今回の、「大虐殺が行われたことは動かしがたい歴史的事実だ」という党声明を見れば明らかですよね。

        

 今日の見出し は「えっ!日本共産党の志位和夫のおじはソ連のスパイ!だから委員長になれたんだ!」というセンショーナルなものにしてみましたが、実はこのことは何も「特ダネ」でも「スクープ」でもありません。ましてや「ネトウヨのでっち上げ」でもありません。日本共産党のことを調べれば、すぐに見つけられる事実なんですよ。ウィキペイディアから引用しますね。 

 志位 正二(しい まさつぐ、1920年1月1日 – 1973年3月31日)志位正人陸軍中将の息子として生まれる。東京府立六中、東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校予科を経て、1939年9月、陸軍士官学校(52期)を卒業。同年11月、歩兵少尉に任官し歩兵第61連隊付となる。1944年12月、陸軍大学校(59期)卒業し陸軍少佐に昇進。1945年4月、関東軍隷下の第3方面軍情報参謀に発令され、終戦を迎えた。

 終戦後、シベリア抑留にあい、1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において朝枝繁春、瀬島龍三、種村佐孝らとともに諜報員、共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受ける。

 1948年11月、シベリアより復員。しかし帰国後の志位は1949年2月からGHQ参謀第2部(G2)の地理課に勤め、抑留帰還者の尋問調書からソ連や中国の地誌を作成していた。1950年6月、GHQの取調べを受ける。

 1951年10月以降、G2在職のままソ連国家保安委員会(KGB)にエージェントとして雇われる。1953年11月、外務省アジア局調査員となるが、「二重スパイ」の活動は継続した。

 ユーリー・ラストヴォロフがアメリカ合衆国に亡命した後の1954年2月5日、警視庁公安部に自首し、自身がソ連の工作員(スパイ)であったことを認めた。その後、海外石油開発株式会社常務となる。1973年3月31日、シベリア上空を飛行中の日本航空のダグラスDC-8型機の機内で死去した。なおこれには事件性がないと判断されている。日本共産党の志位和夫は甥にあたる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E4%BD%8D%E6%AD%A3%E4%BA%8C

       

  「シベリア抑留」 という言葉は今では教科書の中にさえ見つけられない用語ですが、戦直後、「日ソ不可侵条約」を一方的に反故にしたソ連軍により107万人の日本人が拘束され、強制労働を強いられ、そのうちの34万人の日本人が殺された「虐殺事件」なんです。このことが大問題にならないのは日本の教育現場に日本共産党員がおり、マスゴミの中に「共産党フィルター」が今もあるからでしょう。この「シベリア抑留」は1956年まで続きましたから、志位和夫の叔父である「志位正二」が1948年11月に復員(日本に帰国)しているのは特例であることがわかります。要するに「仲間を売った」のでしょう。

 「志位正二はソ連のスパイ」 になったからすぐに解放されたんです。ところが、志位正二の上部機関のユーリー・ラストヴォロフがアメリカに寝返ったため、志位もやむ得ず自首したわけ。最終的に志位正二は「ソ連に処分」されたようですね。本来ならこういう「恥ずべき親類」が、日本共産党では「エリート視」されたであろうことは、志位和夫の出世を見れば明らかです。

  志位和夫は、東大在学中に日本共産党に入党し、なんと、宮本顕治委員長の息子・太郎君の家庭教師に抜擢されます。しかしながら、志位和夫の教え方が悪かったのか、太郎君はエリートコースから脱落。共産党ではなく、民主党内閣の内閣参与をする体たらく。志位和夫に家庭教師をさせた宮本顕治には人を見る目はなかったようです。しかしながら、志位和夫は「ソ連スパイのおい」という肩書きが活きて、現在は共産党委員長15年目。ウィキでも紹介されているように、志位和夫の祖父は志位正人陸軍中将。日本共産党的には、これってOKななんですかね?

           
            中国共産党軍に参加していた野坂参三

 現在、ソ連共産党は少数政党に落ちぶれていますが、中国共産党は今でも「共産主義政党のボス」。戦前の日本共産党は中国共産党の八路軍に野坂参三が参加していたぐらいですから、今でもその縁は深いのでしょう。だから、「中国共産党がそう言うのならそうなんだろう」ということになってしまうんです。「30万人の民間人が殺された南京大虐殺」なんてものは、事実ではないし、中国共産党によるプロパガンダでしかありません。日本共産党が「事実に背を向け、中国共産党に迎合した」ことを党員や民青はどう見ているのでしょうか? おそらくいつか、「日本人の怒り」は共産党員や民青に向かいますよ。どうかその前に、共産党・民青から離れてください。日本人の利益より中国の利益を優先することを売国といいます。あなたは売国奴になっていいのですか?よく考えましょう、子供たちの未来を!By なでしこりん
 

  • 2015 10.18
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